2008.10.27 (Mon)
嵐が丘(Wuthering Heights)

嵐が丘
(Wuthering Heights)
著者
エミリーブロンテ
あらすじ
1801年、一人の男が、家を借りた挨拶のため、大家の住む「嵐が丘」を訪れ、そこで主人のヒースクリフ、義理の娘キャサリンやその従兄のヘアトンなどの奇妙な住人に会う。そして古女中エレン(ネリー)から、ヒースクリフと館にまつわる数奇な物語を聞かされる。
ある日、嵐が丘の旧主人アーンショーが身寄りのない男児を哀れに思い、家に連れて帰り、ヒースクリフと名づけた。ヒースクリフはその家の娘キャサリンと仲良くなるが、その他アーンショー家とリントン家からは虐待される。やがて成長し、キャサリンがリントン家のエドガーと婚約すると、ヒースクリフは突如家を出る。やがてヒースクリフが裕福になって戻ってくると、キャサリンは錯乱して死亡、さらにその兄ヒンドリーを追い出す。ヒースクリフの復讐はまだ終わらず、その矛先はエドガーとその娘キャサリンや、ヒンドリーの息子ヘアトンにも向いた。
キャサリンはヒースクリフの息子リントンと結婚するが、リントンがまもなく死に、リントン家の財産はヒースクリフのものになる。しかしキャサリンはヘアトンと愛し合うようになる。ヒースクリフは、亡きキャサリンへの愛憎と、果たせない復讐を残して死んでいく。
(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B5%90%E3%81%8C%E4%B8%98)
最近、中間試験も終わったし、実家に戻って、ゆっくりした生活を送っています。また、昼夜逆転になったのです。T_Tそんなに頑張って昼夜もとに戻したのに、、、、

時間もあるし、本を読む時間がたくさんあったので、一昨日から今日まで厚い本、嵐が丘と大地を全部読んじゃいました


この本の著者のエミリーブロンテは「ジェーンエア」のシャーロットブロンテの妹です。
この嵐が丘という本は中学生の時、呼んだことありますが、途中でやめたんです。でも、大体内容は全部知っているので、すらすら読めました。
あらすじにも書いてあるように、この本を読んだ後の気持ちは、、、、、
「私には、ヒースクリフのような愛ができるか」
という問題でした。復讐のことは、なんとなくわかるんですが、彼がキャサリンが眠っている墓を掘り出して、彼女の遺体を抱えたりするシーンはあまりにも病的ですよね。文学作品の中の人物だから情熱な人とも解釈できるんですが、本当に私にはそういう狂的な愛ができるのかという疑問がずっとのこりました

この本の中の語り手であるネリーとロックウッドが平凡に静かに語っている様子は、嵐が丘の激しい人物像とよく対比しています。
本文にもありますが、原題にある「Wuthering」とは、「嵐が荒れる」というイングランド北部の方言で、この嵐が丘の荒涼な自然や風土をみごとに描き出しました。
最初はヒースクリフの悪魔的な面や激しい人物像は当時の人の反発を呼び出してしまい、不評であったが、20世紀に入ってからやっと『リア王』『白鯨』と並ぶ英語文学の三大悲劇と評価されるようになりました。やはり、時代によって作品の評価というのは大分違いますね。特にこの作品は人間の本質を追求するという面で高く評価されています。つまり、愛と憎みというのはコインの表と裏の関係のようであるということが主人公のヒースクリフから見られます。
嵐が丘という屋敷という象徴も勿論重要です。
嵐が丘の屋敷に吹きすさぶ嵐は激しすぎて、植物はひとつの方向にしかならないです。この荒野の嵐というのはヒースクリフのキャサリンに対する愛ではないかと、思います


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2008.10.07 (Tue)
赤と黒(Le Rouge et le Noir)

赤と黒
(Le Rouge et le Noir)
著者
スタンダール
あらすじ
貧しい木こりの子として生まれた主人公ジュリアン・ソレル(ジュリヤン・ソレルとも)はナポレオンを崇拝し、野心に満ちた美しい青年である。初めはナポレオンのように軍人としての栄達を目指すが、王政復古の世の中ではその願いもままならない。そこで、今度は王政復古の世の中で羽振りの良い聖職者を目指している。
ある日、ジュリアンはその頭脳の明晰さを買った町長・レナールによって子供たちの家庭教師に雇われる。やがてジュリアンはレナール夫人と恋におちるが、レナールは2人の関係を疑うようになる。そこでレナール夫人はジュリアンをかばって、彼を神学校に送り込む。神学校に進んだジュリアンはそこでも頭脳の明晰さと記憶力のすばらしさを校長のピラール神父に買われ、大貴族のラ・モル侯爵の秘書に推薦される。
ラ・モル侯爵家令嬢のマチルドに見下されたジュリアンは、マチルドを征服しようと心に誓う。マチルドもまた取り巻きたちの貴族たちにはないジュリアンの情熱と才能に惹かれるようになり、2人は激しく愛し合うようになる。
マチルドはジュリアンの子を妊娠し、2人の関係はラ・モル侯爵の知るところになる。侯爵は2人の結婚に反対するがマチルドが家出も辞さない覚悟をみせたため、やむなくジュリアンをとある貴族のご落胤ということにし、陸軍騎兵中尉にとりたてる。そして、レナール夫人のところにジュリアンの身元を照会する手紙を送る。
そのころレナール夫人はジュリアンとの不倫の関係を反省し、贖罪の日々を送っていた。そして、彼女は聴罪司祭の言われるままに「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を誘惑しては出世の踏み台にしている」とラ・モル侯爵に書き送る。侯爵は激怒し、ジュリアンとマチルドの結婚を取り消す。レナール夫人の裏切りに怒ったジュリアンは、彼女を射殺しようとする。レナール夫人は一命を取り留めるがジュリアンは捕らえられ、裁判にかけられる。マチルドはジュリアンの助命のために奔走するがレナール夫人がジュリアンを愛しており、ラ・モル侯爵への手紙は本意ではなかったということを知ったジュリアンは自ら望んで死刑を受け入れる。
野心的な青年、ジュリアン・ソレルの目を通して来るべき革命(七月革命)を恐れながら堕落した生活を送る、王政復古下の聖職者・貴族階級の姿をあますところなく表し支配階級の腐敗を鋭くついている。
なお、ジュリアンが終生愛するレナール夫人は作者・スタンダールの母がモデルと言われている。
<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%A8%E9%BB%92 参照>
プランス小説やらロシアの小説やら韓国の文学じゃない国の小説を読むと、私が経験してない新しい世界が頭の中に勝手に描かれて、それがたまらない楽しみの一つですね。勿論日本の小説を読むと、日本なれではの雰囲気を感じられるんですが、ヨーロッパの世界文学を読むとまた独特な雰囲気が味わえていいですn

この本の副題は「1830年代史」であるだけ、当時ブルボン朝復古王政と共に変化しているプランス社会の様相を生々しく見せてくれます

青年の青春や恋愛を描いた作品でがありますが、背後には「少数の幸福な人」にむけたメッセージも含まれています

この本の題名の意味は主人公のジュリアンが出世の手段にしようとした軍人(赤)と聖職者(黒)の服の色を表していると作品解説で読んだことがありますが、作者は題名について何も説明してないそうです
1830年代のプランスの社会をジュリアンという野心に満ちた青年の波乱万丈な人生を通じて書いています。多分、作者のスタンダールは啓蒙主義者だったため、ジュリアンと言う青年の野心、しかし、その野心をかなえない現実を作品の前面に現しながら現実を鋭く批判したんじゃないですか。つまり、彼は階級が支配している社会を否定し、個人の能力が重視される社会を夢見たのです



タグ : 赤と黒
2008.06.21 (Sat)
アルゼンチンババア

よしもとばなな
あらすじ
母が死んだ日、父は姿を消した。
しかし、父を恨んだり憎んだりはしない。母からプレゼントをもらったことにした。
半年後、父が町では不思議な女とされるアルゼンチンババアと一緒に住んでいることを知ってショックをうける。
勇気を出してアルゼンチンババアが住んでいるビルの中に入ると、
父はそのビルの屋上で曼陀羅を作っていた。
父はその曼陀羅を通じて
母の死の悲しみや一生をかけて職人の仕事を失ったいたみを慰めていた。
主人公もだんだんそのアルゼンチンババアのところに出入り始める。
なぜならば、そこでは思う存分思い出を浮かぶことができる、空想にはいって目が覚めても一人ではないからだ。
猫の毛とほこりだらけのアルゼンチンババアの家は皆が和合できるところであった。
アルゼンチンババアが男の子を産んで心臓発作で死んだ後、父はアルゼンチンビルに残って一人で男の子を育てる。
主人公はこのすべてのことを見続いてきた。自然の流れのようにその変化を受け入れる。
そしてその変化のなかに自分も溶け込む。
最近、時間的に余裕があって本を読み始めました。
この本は前も呼んだことがあるけど、日本語がまだ全然下手だったとき(今でも上手じゃないけど 笑)読んだから、さっぱり理解ができなかったんです。しかし、そのときも、今も同じく感じるのは、韓国にはない情緒ということです。
時々、 「韓国にはない情緒って何?」と聞かれると本当に困りますね。これは、言葉では言い表せないもの、、、表現力が足りない私には特に難しい問題なので、もっともっと考えて説明できるようにしなきゃ、、、汗
よしもとばななは韓国でもよく知られており、特に、女性に愛される作家です。
私はよしもとばななについてよくわからないですけど、たしかに、彼女ならではの色があります。
家族、人間的な紐帯など、、、また喪失感、その喪失感からの治癒の過程をバナナならではの筆致で描き出します。
このアルゼンチンババアもよしもとばななの代表的な特徴が現れている作品ではないでしょうか。
特に、童話的な要素があって、韓国の文学では味わえない雰囲気があります。挿画もいくつかあってよかったですよ~~
そんなに長くない小説だったけど、日本語だったので辞書引きながら一所懸命読みました。
しかし、最初読んだときよりは時間短縮~!笑
よしもとばななんの作品を読むと、なとなく気分が沈んでしまうというときがありますが、ま、一人でゆっくりしたいとき読んだらそれもいいと思います。
2008.05.18 (Sun)
森鴎外の「舞姫」

『舞姫』(まいひめ) は、森鴎外の短編小説。1890年(明治23年)、「国民之友」に発表。
鴎外がドイツへ医学を学ぶために1884年から5年間留学したときの体験を下敷きに執筆。高雅な文体と浪漫的な内容で初期の代表作。石橋忍月との間で論争が起こった。なお、作者森鴎外と主人公は同一人物だと言われることもあるが、真相は定かではない。ただし、ドイツへの医学留学、現地で恋人を作ったこと(鴎外の方は日本に押しかけられた)などいくつか類似の点がある。
「あらすじ」
19世紀末、ドイツ留学中のエリート官僚、太田豊太郎はさびれたユダヤ人街を散歩していたところ、クロステル街の古寺で涙に暮れる美少女エリスと出会い、一目で心奪われる。
父の葬儀代を工面してやり、以後清純な交際を続けるがスキャンダルは広まり豊太郎は免職される。ここに至り、豊太郎のエリスへの愛情は高まり彼女と関係を持つ。
その後豊太郎はエリスと同棲し、生活費を工面するためドイツ駐在の通信員という形で新聞社に就職した。エリスはやがて豊太郎の子を身篭る。友人である相沢謙吉の紹介で大臣のロシア訪問に随行し信頼を得ることができた。復職のめども立ち、また相沢の忠告もあり結局エリスとの愛よりも出世のために日本へと帰国することを選ぶ。
しかし豊太郎の帰国を心配するエリスに彼は真実を告げられず、その心労で人事不省に陥り、その間に相沢から真実を知らされたエリスは衝撃の余りパラノイアを発症した。
真実を伝えた相沢と、豊太郎の事さえ分からなくなるほど病状が悪化したエリスに後ろ髪を引かれつつ、豊太郎は日本に帰国する。「相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我が脳裡に一点の彼を憎む心今日までも残れりけり」豊太郎の心からの呟きであった。
(ここまでWikipedia参照)
森鴎外の作品の中で一つを選んでその感想文を書くという文学時間の課題のためにこの小説を読むようになりました。
最初は森鴎外の「阿部一族」を読みたかったのですが、学校の図書館にも誰かが借りている中だし、でかい本屋に行っても全部売り切れだったのでしょうがなく(??)舞姫にしました。 笑、、しかし、本屋でもこの本はなく、インターネットで読むことになりました。
韓国語で訳された原文がなく、日本語の現代語で訳されたのはあったためそれを読みました。
小説は短編なので読むのにはそんなに時間がかからなかったのです。知らない単語は辞書を引きながら読んだんですが、それでも早くすらすら読むことができました。
その理由の一つとして「舞姫」のテーマが分かりやすい恋愛だったためでしょう。あらすじは上のように結構平凡な内容でちょっとくだらない?とまで思われちゃうような内容だったのですが、、、
私は舞姫の内容を恋愛のストーリより一人の男の内面の葛藤に焦点をおいて読みました。
読みながら主人公の態度にちょっと頭がきたときもあったのです。とても優柔不断だと思ったからですが、もう一度考えてみるとこの主人公こそが我々の人間の様子を示しているんだろうな~と思いました。
森鴎外の鋭い人間に対する観察力であり、内容よりは作家が描いている主人公の内面の描写がとても見るどころです。
主人公の豊太郎を道徳的でどうだこうだと評価するのは間違いだと思います。
最後のシーンで友人の相沢に対する気持ちを記述した部分はとても人間的だと思いました
この本は多分1時間もかからないで読めると思いますので是非読んでいただきたいと思います~
2008.05.01 (Thu)
世界の教養を読むーバカロレア(Baccalauréat)

世界の教養を読む
皆さん、バカロレアって聞いたことありますか。まずこの本はバカロレアに関することであり、バカロレアの問題の答えが主となります。世界の教養を読むというタイトルがなぜついたかこの本を読んだら分かってきます。
バカロレアの辞典的意味ーーー>バカロレア資格(Baccalauréat)とは、フランスにおける大学入学資格を得るための統一国家試験のことです。フランスではバカロレアを取得することによって原則としてどの大学にも入学することができるが、大学の定員を超えた場合にはバカロレアの成績や居住地などに応じて、入学できる大学が決まります。 日本の高等学校卒業程度認定試験と異なり、高校卒業者、卒業見込者であっても大学進学のためにはこのバカロレアを受験し一定の得点を得る必要があります。一般バカロレア 、専門バカロレア 、工業バカロレア の3種類があります。(『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)
上にある本は1巻の総合偏であり、現在3巻の社会、自然科学偏を呼んでいます。
この本を読んでいたら、自分自身に対してすごく恥ずかしくなります。
バカロレアとは韓国の論述試験だけではなく、日本、ドイツなどなど世界の論述試験の起源と言われます。バカロレアの問題を最初接したとき、「私は哲学者じゃないよ!」と思うほど、問題自体が哲学的で、深い思考力を求める問題です。バカロレアの質問は人間が人生を生きていく中で一度は悩むべき問題の人間本質的なことについて問います。
韓国のような注入式教育、暗記教育のなかでは想像のできない問題で、現在は教育の問題を改善するためこのバカロレアの形式を借りた論述試験を受けるようにしています。
バカロレアの問題は例えば、
質問1自ら意識できない幸福とは可能であるか。
質問2夢は必要なのか
質問3我々は自分自身に嘘をつくことができるか
質問4我々には復讐する権利があるのか
質問5現実は数学の法則にしたがっていると言えるのか
など観念的でありながら、人間だったら一回くらいは思索するべきの問題が大学の入試に出ています。
ショックでした。フランスの教育は小学校のころからレポートを出すそうです。一つの本を一ヶ月間読んで、その歴史の背景や文学的な特性、哲学的意味などを調べるレポートだそうです。それを大学に入る前まで続けます。なるほど、、、、
バカロレアの答案を見てまたショックショックショックでした

フランス人のなかで教養とは私たち(少なくとも韓国の社会)が考えている少数者のためのちょっと偉そうな洗練さのようなものとは違うものでした。
フランス人にとって教養とは人間なら誰でも身に着けるべき、また、自分を表現する社会的、文化的素養であるということです。なので、肉屋さんの人が高い教養の持ち主だとかというのは普通のことです。また、フランス人にとって最高の褒め言葉は「教養のある人」です。社会的に地位が高いといって教養が高いと言わないです。
こういう面ではやはりフランスは文化強国であり、芸術の国であり、哲学の国であるという修飾語の意味が分かってきたのです。
友人たちが集まっても「愛って何だろうね」というとても哲学的な話を普通にやるそうです。なぜフランス人がロマンチックと言われるのかが分かってきました。
とにかく、バカロレアという今の論述の起源であるフランスの教育制度を通じでフランス人がどんなに自分自身を内面的に磨いているのかが分かりました。だからタイトルを世界の教養を読むと決めたでしょう。
2,3年の勉強では絶対答えができないこういうバカロレアの問題を読みながら今も感心、感心、また感心しています。
人生を豊かにするためにはこういう哲学的な問題、人間の本質的な問題について思考する必要は絶対あるし、こういう思考こそが人文学、ひいては様々な分野の学問の発達につながるし、品のある国民になれると思いますよ。。。
この本を読みながら、フランスに留学したいと5分くらい考えましたが、、、 笑
機会があったら、バカロレアの問題とその答えを読んでみてください~~!